流浪の月<凪良 ゆう>

<あらすじ>

最初にお父さんがいなくなって、次にお母さんもいなくなって、わたしの幸福な日々は終わりを告げた。すこしずつ心が死んでいくわたしに居場所をくれたのが文だった。それがどのような結末を迎えるかも知らないままに――。だから十五年の時を経て彼と再会を果たし、わたしは再び願った。この願いを、きっと誰もが認めないだろう。周囲のひとびとの善意を打ち捨て、あるいは大切なひとさえも傷付けることになるかもしれない。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい――。

 

<評価>★★★★★

9歳の少女だった更紗は父を亡くし、母も家を出てたった一人になり伯母の家に預けられますが、そこで伯母の息子から性的な嫌がらせを受けるようになり、地獄のような日々を過ごします。更紗は伯母の家に帰ることが嫌になり、死ぬことすら考えますが、そんな時に声をかけてくれたのが19歳の青年文でした。

文は昼間から公園に座っていつも小学生を見ており、ロリコン、不審者の疑いがうわさされている青年でしたが、更紗を温かく迎え入れ、純粋な家族として二人だけの生活が始まります。しかし、ある日更紗と文が動物園に出かけると、既に誘拐事件として通報されていたことにより文は警察に捕まり、更紗とも引き離されてしまいます。

その後更紗は文の消息を知ることはありませんでしたが、15年後に二人は再会を果たすことになります。

この小説では更紗のキャラがかなり独特で、なかなか他の小説では見ない性格だなと思いました。普通小学生でも小児性愛者が怖い、近づかない方がよいという認識は持っているかと思いますが、地獄のような生活から抜け出したいと思っていた更紗は、文を怖がることなく、むしろ父の面影を求めて自分から家に住み着くことになります。更紗の母親も世間的に見ると毒親で、子供を置いて疾走するような人ですが、更紗は全く恨みには感じず、ただ寂しいと思っているだけです。

更紗は警察に保護されたのちも、ずっと文は何も自分に悪いことはしなかったこと、自分から進んで文の家に押し掛けたことを伝えますが、周囲の大人たちはそれを本気で信じる者はおらず、ストックホルム症候群のように一種の依存状態にあるのだと解釈し、文と更紗を引き離そうとします。

「俺はハズレだ。引き抜かれたトネリコは俺だ」

最後に明かされる文の秘密はかなり医学的にも興味深く、彼はただの小児性愛者と片づけられるものではないことが非常に印象的です。

この小説は小児性愛を肯定するようなものでは勿論全くなく、もともと生きづらさを抱える人々がどのように寄り添っているか、周囲からの見方と、本人達の認識がどれほどギャップがあるかを教えてくれます。

文体も簡潔で一種詩的で、非常に読みやすいです。凪良 ゆう先生の本はいずれも非常に面白いのでお勧めです。

映画にもなっていますので、こちらも見ようかと思っています。